対話というのは難しい。
人はしばしば衝突し、対立し、すれ違う。Twitterを眺めているとそれが顕著で、誰しも「みんななんかよく言い争っているな・・・」と感じていることと思う。
東京事変の「ピノキオ」という曲がある。 2007年にシングル「OSCA」のB面として発表され、のちにカップリングアルバム「深夜枠」、ライブベスト「東京コレクション」(ともに2012年)にも収録された。
「人間とピノキオ」を題材に書かれたこの曲が、人間同士、特にインターネット上でのコミュニケーションの齟齬を美しく描き出している。

おとなになっても気に入った歌詞を書き留めるマン
後悔された君の不器用さが本当は君を包んでる
東京事変「ピノキオ」 作詞作曲:伊澤一葉
「もう会えない?」
若く信じすぎた狂いそうで美しい君達
一度だけで壊す嘘 「やめて いやだよ」
“後悔された君の不器用さが本当はみんなを包んでる”
後悔された、がポイントだ。後悔「した」んじゃない、「された」のである。
「あの人あんなこと言わなきゃよかったのに何で言っちゃったの」である。
言葉足らずで嫌われちゃったり、不用意な発言で炎上しちゃってあらあらまあまあと言われても、議論を呼ぶということはそこになにかがあったんですよね。
そんなきれいなもんばっかじゃなくて炎上商法だったり「頭おかしいトンデモ発言」がままあるのも、まぁそれはそうなんだろうけど。
「語弊があった」「真意が届いていない」「言葉は心を超えない(チャゲアス)」なのである。
“一度だけで壊す嘘 やめて いやだよ”
たったの一言で、関係が壊れてしまうことがある。
ネット上だけでの付き合いならば尚更それは日常茶飯事だ。そのことがとてもかなしい。
私も「◯◯さんのツイート好きです」とリプしてくれてた人に、知らぬ間にリムブロ(フォロー解除されてブロック)されていたことがある。
こちらがなにかよからぬ発言をしてしまったのだろう。仕方のないことだけど、悲しかったし、不快な思いをさせてすまぬと一言お伝えしたかった。
その人のことは好きだったので数ヶ月経った今でも思い出すとちょっと凹む。
沢山のピノキオ重なる
「ずっと向こうへ泳いで行こう」
異なる海 少し出会えた
嘘つきの屍が折り重なる地獄のような世の中だけど
ネットの上では、遠く遠く離れた人にだって言葉が届くね。
分かり合える人にも出会えるよね、よかった。
驚嘆続きのニュース 妨害された時
「飲み込んだ僕を返せよ!!」縛られた心地
誘導された口が悪
指帰を広めてる「誰もしゃべらないで」と耳をちぎって
他人のせいにしても終わらない
「飲み込んだ僕を返せよ!!」
フェイクニュースに騙されてガチ切れしている・・・!!
信じられないようなニュースが沢山目に入る。
ついスマホ見ちゃうと作業や家事が、自分の時間がどんどこ妨げられちゃって。
“縛られた心地
誘導された口が悪
指帰を広めてる”
つられてリプしちゃって
未熟な私たちはいつだって、実はなにかに操られてるようなもんだ。正義感をふりかざしては拡散してみたりして。
「指帰」とは「結論として従うべきこと」や「模範」という意味らしい。
「誘導され」て、「結論」や「模範」を広める「口は悪」なのだ。
てめぇの頭で考える「自分自身」を返しておくれよ。そんなの最初からこの世のどこにもないかも知れないけど。
しかしだからといって、目を塞いで耳を塞いで
誰かを悪者にしたって何も変わらないのだ。
「ずっと向こうへ泳いで行こう」
沈んだ君に何も言えず
朝が来たよ
音はしない『知ってる』を繰り返すピノキオ
“沈んだ君に何も言えず”
(垢消ししちゃったブロックされちゃった君にはもうなんも伝えられない)
“朝がきたよ 音はしない”
(通知切ったから~)
“知ってるを繰り返すピノキオ”
これは愚かなわたしのことだ。
「知ってる」「わかった」と思った時点で、もう通り過ぎてしまっていて結局分かってはいないのだ、というのは、禅問答かなにか。京極堂の小説で読んだのだと思うけど。
わたしは多分、ほんとうには何もわからず、何も知ることが出来ないのかも知れない。
(そもそも記憶障害があるんじゃないかってくらい記憶力が悪いので色んなことを覚えていられない)
“若く信じ過ぎた狂いそうで美しい君達”
“沢山のピノキオ重なる”
“『知ってる』を繰り返すピノキオ”

真実を見抜く目を持っているのは誰なんだろう。
世界中の人々が、ピノキオの鼻を持っていたなら良かったのに。
賢くなりたかった。
それが無理なら、せめて、素直で優しくありたいと思う。
それが無理ならTwitter見ちゃう時間をもうちょっと減らしたい(マヂ無理)
しかし最後にひとつ言っておかねばならぬことがある。
実際はこの曲に特に深い意味はないらしいのだ。
伊澤によるオーソドックスでピアノ・オリエンテッドなポップ・チューンで、作る過程で一度も悩まずに、ほぼ曲のサイズそのまま、3分ちょっとで出来た曲。
ウィキペディア OSCA (曲)
歌詞の内容について伊澤は「ピノキオと人間を題材にした」と話しているが、こういうタイトルにしておきながら本人はピノキオの話をよく知らなかった。
「 曲に込める“メッセージ”のような高尚なものは今の僕にはないんです。ただ歌詞に書かれている事は自己の内なる訴えの一つであるとは思うんですが……」
――「OSCA インタビュー」(2007)より
つまり、音に合わせてささっと雰囲気で書いた詞らしい。
さようでござるか~~。
まぁなんにせよ伊澤さんはすごいしこの曲はいい曲だ。
3バージョンともアマゾンプライムで聴けますのでぜひ聴いてみてくださいね。
お読みいただきありがとうございました!
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